~活水器Dilekaの開発者による水のお話ブログコラム~
「(株)TAMURA」の『ディレカ』開発の技術知を讃えて
石渡隆司(2014年寄稿)
今日の世界に暮らす人間の大半は、基本的には古代ギリシア以来、主として西欧社会で発達した「科学」によって解釈された自然観を基礎にして物事を理解し、それに基いて生活を組み立ててきました。
しかし、その「科学」は、とくにこの百年ほどの間に、世界大戦と、それに引き続く国家や民族の対立によって、もっぱら大国の軍事技術開発の後ろ盾としての役割に終始してきた、と言っても過言ではない。
1960年代の後半から、軍事技術は大幅に民生技術に転用され始め、通信機器、乗物、写真など、遠隔地を結ぶ技術は私たちの生活空間を大きく豊かにしましたが、他方では、もともと破壊と殺戮を目指した軍事技術の平和的利用は、原発事故の引き起こした一連の問題からも明らかなように、その技術の底には、絶えず生命破壊への危機要素が残存していることは否定しがたいのです。
「(株)TAMURA」の技術は、そうした軍需技術の発想とは正反対の、主として戦時に開発された簡便で即効性のある化学合成による建材・塗料などの生み出す環境汚染から、いかに生活者の健康を護るか、という生命的なるものへの保護の眼差しに発したものなのです。
いまや、私たちの自然理解の枠組み自体も、とくに生命の働きの実相は必ずしも全てを科学の検証に頼ることはできず、日常的な感覚経験にその基盤を求めざるを得ないことも多くなってきました。
もともと「科学」の基になっている人間の「知」とは、「違いを知ること」に他なりません。また「知ること」には思考や分析のように頭で理解する「理知」だけではなく、感覚でとらえることが基になっているのです。
「水のもつ潜在的な力が、どれほど私たちの生命的な環境に影響を及ぼし、ひいては私たちの健康、さらには富や幸福に寄与するか」をめぐっての「(株)TAMURA」の開発は「水の違いの分かる知」から「水の違いを引き出す技術」を生み出した21世紀の生命に係わる科学技術の貴重な成果であると言えるでしょう。
石渡隆司
元日本医学哲学・倫理学会会長
ポーランド医学アカデミー名誉会員
実存医療学会顧問、岩手大学名誉教授
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